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安保法案は時間がたっても忘れられない

 最初に断わっておくけれど、「時間がたてば忘れる」や、または「どうせ理解はされない」も安倍首相の発言ではない。NNNの報道で安倍首相の画像にこのキャプションが被さったことから勘違いが広がったようで、正確には「首相周辺」ないし「首相に近い参院議員」の発言である。特定はされていない。

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 それでも、この発言には呆れるを通り越して衝撃さえ覚える。

 国民を舐めている、とか反対派を馬鹿にしているとかいう話ではない。法制推進側がまったく確固たる責任感を持っていないことが露呈してしまっているからだ。あまりの無責任さに目眩がしそうである。

 宿題を忘れたのに授業で当てられず、ホッとしている中学生じゃないんだから、その場さえ切り抜ければどうにかなるとかいう問題じゃないだろうに。

 集団的自衛権を導入し、共同的に武力行使に踏み切ることを可能とした以上、今後どこかでそれは実行されるかもしれない。というより、そうした「国際状況の変化における必要性」を見越して安倍政権はこれを推進してきたはずで、それが具現化する、ないし必要とされる状況が来ると想定されなければならない。

 その度、議論は再び巻き起こる。国際的紛争や武力的な共同介入が必要とされる場面がやってくるたび、何度でも集団的自衛権の意義は問い直されることになるだろう。より具体的に厳しい形で。


 かっての「安保反対闘争」の巨大な盛り上がりが彼らの頭の中にはあるのかもしれない。自民党の石破元幹事長や谷垣現幹事長もかってに比べて現在の反対運動のありようについて語っている。

 けれど、彼らは忘れてしまっているわけで、かっての安保反対運動は条約が自動承認され、岸内閣が倒壊してそれで終わったわけではないんである。やがてベトナム戦争をめぐってより厳しい形で返ってくることになったし、学園の破壊や極左テロというツケを払う破目にもなった。現在でも厳しさを増す沖縄の基地問題は全くその安保問題の延長線上にあるわけで、具体的な、より厳しい形でこれらは返ってくるのである。


 法制推進派がこうしたことを全く念頭に置かず、ただ紙に書いた念仏か何かだと捉えているとしか思えないような発言をするなど、悪夢としか言いようがない。

 もしくは、これによって全く危なげなく「アメリカに守ってもらえる」お守りが手に入るのだと、本気で考えているのかもしれない。目先の我が立場の安定にばかり汲々として、集団的自衛権を「行使」することの責任を誰も取る気がない。悪夢を通り越した何かシュール過ぎる光景ですらある。


 ネットでは強行採決時の反対派議員達のプラカードデモンストレーションをおちょくるコラ画像が出回っている。確かにあのパフォーマンスは間抜けに見えるが、だからといっておちょくって祭りにしているような局面なんだろうか。

 推進派がふざけて祭っている姿は逆に凄まじく滑稽に見える。やっていることの正当性に自信がないようにしか見えない。欲しいのは重みと責任のある説得であって、お笑いではないし、笑えるような、「時間がたてば忘れる」ような軽々しい法案でもないはずだ。