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SEALDsの国会前デモにいってきたよ

 何がこうも一介のオタを急きたてるのかわからない。けれども、とにかくこの目で現場を見てみたい。そう思いつきのまま矢も盾もたまらず新幹線に飛び乗って、SEALDsの国会前デモを見てきた。彼らが企画した3日間の連続緊急行動の最終日、7月17日金曜日の夜のこと。

 あれやこれやと話題になり、毀誉褒貶の激しいSEALDsだけれど、出来るだけ広く歩き回ってみて、SEALDsデモの全体像を掴むようにしてみた。実際のところを現場の視点からレポートしてみようと思う。

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 さて、最初に、おおまかな感想を述べておくけれど、このデモはずいぶん「だらしない」。でも悪い意味じゃないと書いておく。

 この日の国会前デモは夜6時半という開始予告だったのだけれど(筆者が到着した夕方6時半以前からも何かやっていた様子)、終わったのは何と夜11時である。スピーカーの使用ができなくなった8時半頃以降、2時間以上もまだ続き、合計4時間半もやっていた。一般に言う集会の常識ではちょっと考えられない。

 また、警官たちが警備機動車を並べて道路に溢れさせないようにしたため、議事堂前北庭と南庭の歩道に長々と広がってデモの参加者は集まっていた。下の図の赤い部分がSEALDsで、青い部分が他団体だが、青部分も夜8時以降はSEALDsの領域になっていた様子。

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 図のように広い範囲にグラデーション状に参加者が散らばったため、中央演壇や発言者の姿は全く見えない。あちこちに置かれたスピーカーを通じて聞こえる声を聞くことで参加者たちは集いに参加していた。

 そして、暑いし長い時間にわたる集まりなので、人々はどんどん帰っていき、また後から後からどんどん参加者がやってくる。どうもそういうスタイルらしい。刻々と人が入れ替わっていくので、時間帯によって随分人も雰囲気も変わっていった。夜10時を過ぎても参加者はメトロ丸ノ内線国会議事堂前駅やメトロ有楽町線国会図書館前駅の二方向からやってきていた。

 なので、全体像が非常につかみにくい、まあいわば「だらしない」デモだ。見る人によって印象が変わるのは、時間や場所によって見るものがまるで変わるからというのも大きいのではないかと思う。


 大きく言えば、夕方から前半は、組織動員というか、団体員として来たな、という人達の割と多い時間帯だった。年配の人達や集会でお馴染みののぼりや旗を持った人たちが目立つ。団体の宣伝ビラなども一部で配られ、ああ、集会だなという感じである。それでも若い人たちや一般にふらっとやってきたなという人も多く、制服姿の高校生たちの姿や子連れの主婦も見かける雰囲気ではあったけれど。

 上の記事を書くような人は、この前半やそれ以前の時間帯を見た人だろう。実際、この記事を書いた石井さんは夜の部を見ていない。

 17日、SEALDsが仕切ったのは主に夜7時40分以降である。組織動員で来たなと思われる人たちはどんどん帰っていってしまい、入れ替わりにどどっと学生らしき人達が増えてきた。民主党の枝野幹事長をはじめ各野党、それから弁護士会からの発言(前半の部も人を替えて各野党や団体から発言があり、二度目)があり、それが終わってスピーカーの使用がストップした夜9時頃以降は、トラメガと太鼓を使ったラップ調のコールが続く。ドコドコと薄暗い国会周辺に太鼓とコールの声が鳴り響き、なんだかほとんど学祭の夜とかキャンプファイヤーのノリである。(それでも学者の会の渡辺治さんがトラメガで声を張り上げて演説してたけれど)

 そう、動画のように、学祭の夜である。(夜9時半ごろ)トラメガでのコールなので声が割れがち。

  
 「お洒落」だとされるSEALDsだけれど、実際にはそこまで、例えばクラブにでも遊びにいくようなファッションの人達ばかりというわけでもない。要は学祭をそのまま移してきたような雰囲気で、そこらの学生さんっぽい人たちが中心である。ラップ調のコールも、上手い人ばかりではなく、どうにも下手や失敗もご愛嬌ってなコールもある。「お洒落な人達」に囲まれているというよりは、懐かしく学生時代を思い出すような、そんな空気でもあり。

 ちなみに、「戦争したくなくてふるえる」や「なまらむかつく」はSEALDsのものではなく、もともとは最近、北海道での反対デモで話題となった高塚愛鳥さんのフレーズだけれど、この夜、その当の高塚さんがゲストにやってきて、「ふるえるコールしていいですか?」と、ふるえるコールがこの場の公認になった。


 とまあ、そんな感じのSEALDsデモである。「だらしない」と最初に書いたが、この参加のしやすさと離脱のしやすさは好ましく面白い。署名もなければ秩序だった隊列もない。それぞれの都合に合わせてふらっとやってきて、コールにノればそれで参加である。満足すれば「じゃあね」と帰っていく。実際夜9時半過ぎ以降はほぼラップ調コールの連続で、ひたすらまあ踊っているというかノっているかの、原始の祭りを思わせるようなミニマルレイブな時間帯である。年寄りには正直つらい。

 ちなみに、主催者発表の参加者数は、「のべ」である。この日、前半で2万人、全体で5万人とのことだった。後から聞いた警察発表は5千人で、この大きな差は、のべ人数と場所の収容数との差だろうと思われる。ずるずると長時間にわたって入れ替わり立ち替わりする参加者数の全体を正確に把握するのは難しいが、歩き回ってみた体感的にも全体のべ動員数は警察発表ほど少なくはない印象だ。

 後半は通路も崩れて中央演壇まで辿りつくこともできず、それを越えて反対側がどうなっているのかもうわからなくなり、全体像の把握も難しくなった(動画は、帰る人達と入れ替わりにじりじりと中央に迫っていってやっと撮ったものだ)。その上、警備機動車でデモから封鎖したために空いた車道を、タクシーで中央演壇まで乗り付けるという作戦が展開されていて、もう何が何だかである。

 一方、警備の警察官たちは敬語で懇切丁寧に誘導しており、割と親和的である。全体にピリピリとした警戒感はデモ参加者の側にもなかった。だけれど、それでも夜11時までずるずる続いているのは気になるというか、危なっかしい気がしないでもない。半世紀前の安保闘争の時は夜通し人が集まったというから、この場所はそんなものなのかもしれないが、上の動画はすでに9時半を回った頃の状態だ。一般的なデモ集会としてはなかなか常識破りである。

 デモ全体に末端まで制御しきれていないのは明らかな様子なので、警備側の判断の変更や何かの波乱一つで大きく混乱しそうな印象を持った。現に今回、歩道に押し込まれて参加者たちは右往左往している。こういうところもSEALDsが組織的統制を受けていないと思うところのうちの一つだが、「だらしない」デモのこれも一面でもある。

 もっとも、SEALDs側は騒乱に対してかなり警戒しているらしく、さかんにTwitter上で注意を呼び掛けている。大きな混乱がないよう、祈るばかりだ。

 そうして、夜10時過ぎに、筆者は体力が尽きてデモから離れた。汗だくである。延々続くミニマルレイブにある程度年を取った私は長くは耐えられない。なるほど人が入れ替わっていくのはそういうことかと思うわけだけれど、若い人たちはますます熱量を高めていく。溢れんばかりの情熱と体力が羨ましい限りだ。11時にきっちり終わるとアナウンスされていたので、それで終わったと思うけれど、ひょっとして終わりがどうなったのかはわからない。

 最後に、まとめての感想だけれど、現場に立ち会ってみて改めて確認した、SEALDsのデモは政治的に尖鋭化したものではまるでない。また尖鋭化を感じさせない。ただ熱量がそこにある。政権党の決定に反することがすでに「尖鋭化」だと言うような向きなら話は別だが、繰り返すけれど学祭をそのまま移し換えて持ってきたような感じだ。というかデモというよりこれミニマルレイブだろという。そこに多くの人達が清冽さを感じているわけだけれど、逆に言えばそこまで日本の政治文化は干乾びてしまっていたのかという感慨を抱かずにはいられなかった。

 当たり前に、ごく当たり前のように学生たちが集まっているように見える。それがSEALDsなわけだけれど、そこに特段に力を込めて願いをかけたり、また躍起になって叩いたりデマまで吹聴して扱きおろしたりしたりしなければならない状況こそ、情けないことになっているなあと改めて思う。

 彼らSEALDsは叫ぶ、「民主主義って何だ?」。その矛先は、実は安倍首相ではなく私たちにも向けられている。答えなければならないのは、私たちだ。彼らは「民主主義はこれだ」と答える。「これだ」と言うには私は年を取っていて、ただ見学者としてブログを書いているのだけれど。さて、私たちは何と答えればいいのだろう?