ヲタ論争論ブログ

ヲタ、ネット界隈をめぐる論争的ブログです

でもアウトだからしょうがない 前例から見る五輪エンブレム騒動

 五輪エンブレムの使用中止騒動やその余波をめぐって、「何でもパクリと言うな」という、反批判ともいうべき議論がぼつぼつ出始めている。佐野研二郎さんおよびデザイン、アート界への大規模な「ネットリンチ」に対して憂慮するという姿勢のものだ。

 何でもかんでもパクリ扱いでは実際たまったものではない。だが、そうは言っても発覚したトートバックでの素材の盗用等は動かし難い事実であって、「アウトだからしょうがない」んである。叩きの行き過ぎを憂慮する気持ちはわかるけれど、結果についてはひとまず納得するより仕方がない。


 そのことは幾つかの先例を見ても理解できる。

 漫画では、2005年に末次由紀さんの作品で他の漫画や写真からの無断トレース、盗用が発覚し、連載作品の即時打ち切りはおろか、デビュー作以来の漫画全て絶版、回収という非常に厳しい処分が下った。

 事の発端も2ちゃんねるをはじめとするネットであり、連載作品から過去作にまで遡って詳細に検証がなされ、検証まとめサイトも作成された。作者当人が帰省にて対応が遅れている間に火の手は一挙に広がるという、やはりエンブレム騒動に似た経緯をたどって、当人の謝罪、サイト閉鎖に続いて出版社による連載中止、絶版の表明へと続いた。

 騒動がもたらした影響は大きく、他の作家も盗用しているのではないかという疑惑は広がり、『メガバカ』(2007年)や『ダシマスター』(2011年)など、実際に幾つかの作品、作家が謝罪や休載に追い込まれており、現在もこうした盗用の追求や検証は一部の作品に対して続けられている。

 この時も、やはり「厳し過ぎる」との反批判の声は挙がり、竹熊健太郎さんなどは「漫画の歴史にはざらにある話」「創作は知っている物の組み合わせ。オリジナリティーで胸を張るのは結構だが、あんまり過剰に主張するのはどうかなと思う」と、今回の五輪エンブレム騒動で誰かが語っていたこととそっくり同じような趣旨のことを述べている。

 ライトノベルでは2010年に哀川譲さんがデビュー作にて他作品から文章表現を「コピペ」盗用しているとの指摘が広がり、作家並びに出版社が事実を認定、作品の絶版、回収措置となった。哀川さんは「プロ作家としての意識の低さ、認識の甘さを深く反省しています」と、今回の佐野研二郎さんと殆ど同様のコメントにより謝罪している。


 ところで、末次由紀さんにせよ哀川譲さんにせよ、それぞれ漫画、ライトノベル界隈を代表するような盗用、回収騒動だったわけだけれども、数年の活動停止期間を経て、それぞれ創作の第一線に復帰している。末次さんは後に『ちはやふる』がブレイクし、漫画大賞(2009年)を受賞、アニメ化ともなった。哀川さんも2013年より名前を変えることなく復帰し、出版を続け、先の7月にも新刊が出たばかりだ。

 トレースにせよ、コピペにせよ、これらは部品であって、確かに作品全体、粗筋やアイデア、構想などは「パクリ」ではない。それが彼らを後に生き残らせた理由であるかもしれない。それでも、末次さんや哀川さんは厳しい処分を受けたわけで、これに引き比べるなら今回の佐野研二郎さんに対する処分も「妥当」と見るほかないだろう。

 佐野研二郎さんの盗用もディレクション作品における素材についてであって、エンブレムそのものの「パクリ」は証明されてはいない。彼のセンスやコンセプトが「パクリ」と証明されたわけではない。どんなにそう罵る声があったとしても。しかし、「部品でもアウト」が現在の商業芸術をめぐる基準レベルである以上、トートバックの事例の時点でアウトだとしか言いようがない。


 それまで、とりあえず口約束がまかり通るようなどんぶり勘定気味だった出版界において、騒動がもたらした「意識向上」は大きかった。作家達をはじめ同人作家やPixiv絵師にいたるまでトレースや盗作に対する「外部の目」をシビアに意識するようになった。デザイン界隈でも今後、大きな意識向上が図られていくことになるだろう。

 その一方で騒動によって漫画や同人、ライトノベル界隈が大きく委縮することは結局なかったわけで、まずは恐れるに足りないと思うべきだ。

きっといろいろいう人はいるだろうが、それは仕方ない。
彼女は、いい仕事をしていくしかないのだ。
それが、赦しなのだ。

 いしかわじゅんさんは、末次さんの騒動に触れてこのようにコメントしている。今後に関しては佐野さんおよびデザイナー達の奮起に期待してやまない。状況は厳しいが、能力を生かしてほしいと願うばかりだ。