現代美術から見るオリンピックエンブレム騒動
オリンピックエンブレム騒動だけれども、もういっそのことある種の「アヴァンギャルド芸術」として扱えばいいんじゃないかという気がしてきた。
最初に、「喪章のように見える」のが不評を買った理由だとするなら、仮にこれを意図的にやったならどうなるのだろう?当然、凄まじい抗議を受けるのは目に見えているのだけれど、一方で例えば「オリンピックとナショナリズム」或いは「国家目的に奉仕する芸術」に対し否を唱える作品として擁護することは可能だろうか?
と、ここまで仮定して考えてみると、デザインをした当人達が意図する、しないに関わらず、既に騒動はアヴァンギャルド的な様相を呈していることに気づく。オリンピックとは何なのか?称揚されるナショナリズムとは何なのか?そしてデザインは何を表現すべきなのか?「複製技術時代」における芸術とは何なのか?騒動を通じて、多くの人々がこれらを問い直すことになった。
デザインという枠を超えて、これはもう現代美術の課題として引きうけてもいい騒動なのかもしれない。
というようなことを考えていると、とうとうエンブレムの使用中止が正式決定になった。ようやく騒動には一区切りがつくわけだけれど、ひとつ、気になったのはオリンピック組織委員会による記者会見の内容だ。
(会見より抜粋)
取り下げの理由は国民の理解を得られなくなったこと。
佐野さんは盗作したことはないと明言しており理解している。
ネット社会でデザインの独自性を確保するのは難しいと思い全く仰るとおり。
多くの人々が憤慨しているように、仮にこれが「使用中止は理解できないネット民のせいだ」という趣旨を含むとするなら、随分と組織委員会や選考委員会は前衛的な立場に立っているのだなあ、というのが気になった。或いは、ネットとアートをどのような関係として見ているかが気になる。
改めてネットとアートについて、雑感的に振り返って考えてみよう。
オリンピックエンブレム騒動をネットで見ていると、「デザインのためのデザイン」や「アーティストの独りよがり」といった声をちらほらと見かける。ちょっと前の日展の不祥事と改組といった問題まで持ち出してきて、それが日本の美術界全体に共通する宿痾なのだと指摘するような突っ走った声まである。
え?現代美術はそんなことないぞ?
よく、「専門家だけの世界」の代表として言われる現代美術だけれど、実のところ現代美術はこのところ動員数をかなり伸ばしている。かってのようにガラ空き展覧会が続くような状況じゃない。ちなみに、かつてあまりにもガラ空き状態が続いたので、窮屈な「画壇」さえまともに育たなかったのが現代美術の世界である。
商業イベント化し過ぎているとの批判もあるけれど、瀬戸内の島々をめぐる瀬戸内国際美術展はのべ100万人の動員に達するし、六甲山中で開かれる六甲ミーツ・アート芸術散歩も40万人に及ぶ。森美術館で開催された会田誠さんの「天才でごめんさい」展はのべ49万人を動員した。
会田さんは1人でコミケ2日分の人々を動員するわけだけれど、ネットではあまり評判にならない。というか状況はあまり理解されていない気がする。先日、MOT(東京現代美術館)で会田さんの作品撤去騒動が持ち上がったのだけれど、ここでもやはり「専門家だけの遊び」といった声は割と良く聞こえた(但し、会田さん擁護の声も多かったので、やっぱり状況は変わってきたんだろう)。
現代美術がネットであまり理解されないのは、コピペができないからだ。
とまあ、こう言い切ってしまうとあれこれ語弊はあるけれど、要するに現代美術は「ネットでは体験できないしコピーもできない」(一部そういう作品もあるけれど)。
野外などでのインスタレーションやアクションが現代美術における大きな流れとなってどれぐらいになるのだろう。このところ地方の村起こし含みの芸術祭なんかは、どうも地蔵や碑文といった類いのモニュメントへの志向に落ちかかってる気がしないでもないけれど、それでもとにかく、これらはその「現場」にいって体験してみないと意味がない。
写真や文章で紹介することはできるけれど、民家の二階に敷き詰められた泥人形に戦慄したり(『誕生-性-生-死-家-男木島伝説』北山善夫)、海の畔で鼓動の音を聞きながら「生の終」を静かに思うなんてこと(『心臓音のアーカイブ』クリスチャン・ボルタンスキー )は、その作品の現場にいかないと体験することができない。誰かにこの体験をコピペして引き渡すことはできない。
もっと大きく言えば、もともとタブロー(平面作品)とて、100号200号の単位の大きさになったり、筆使いや絵の具の厚み、マチエール(手触り、材質感)のあるものを図版やネット上の写真で再現することはなかなか難しいのだけれども。
まあ要するに「アート」はコピペができない。
ところで、そもそも現代美術というと、デュシャンの『泉』あたりがあまりに有名で、この作品をもとに現代美術なるものを語ろうとする人は数多い。のだけれど、あの作品、実はデュシャン本人ら一部の人達を除いて誰も実物を観たことがない(ギャラリー291で数日間は展示されたという説もあり)。誰でも出品できるはずのアンデパンダン展でさえ展示を拒否され、そのうちに処分されてしまったからだ。
それをデュシャン自身が告発してはじめて騒動は知られるようになったわけで、今残っているのはファンが持ってきた便器に「公認」してサインしたもので、これは数百個存在すると言われる。当の実物は写真しか残っていない。
つまり、私たちは「騒動の記録」を現代美術の代表作として語っているわけだけれど、あくまで記録語りだ。先の会田さんの作品撤去騒動にしてもそうで、あの「現場」で美術館のあり方について「体験」しなければ意味がない。
さて、話をオリンピックエンブレムに戻していく。
仮に、オリンピックエンブレムを「デザイン」ではなく「アート」として、「現場」のものとして考えた場合、どうなるのだろうか?
たとえば、「並べれば鯨幕」という批判があったけれど、それはありえない。「現場」で並べるなら発表会見のように格子状だろうし、或いはコンセプトとして提示されていたテキスタイルな展開というやつだろう。
しかしながらネットではそうもいかない。ベタ並列に並べるのなら評判の良い1964年版エンブレムだって日の丸が通常より大きいので相当シュールな図ができあがることになるわけだけれど、そんなことおかまいなしに今回のエンブレムをベタ並列に並べて(かつ合間を詰めて)鯨幕画像を作り出す人々は出てくる。
あらためて騒動を通じてみると、エンブレムは他の場所で好き勝手にコピペされるようなことを前提としない、デザイナーのディレクション下という「現場」で展開されることを前提に考えられていたんだな、要するにかなり「アート」ディレクション重視な代物だったんだな、ということが理解できる。(それがこれまでの会見などでデザイン側がコンセプト等の言葉を用いて説明したかったことなのだろう)
それがネットにも大量にばら撒かれる「デザイン」として良かったかどうかは別として。
さて、オリンピックエンブレムは正式に使用中止となり、永遠に佐野氏ディレクションによる「現場」を体験する機会は失われてしまった。私たちが見ているのはいわば断片であって、オリンピックという現場に現出したディレクションされたアートではない。
先述したデュシャンの『泉』と同じで、実物抜きで騒動の記録だけが残っていくことになる。騒動の記録だけが「現代美術史」として独り歩きするように、この騒動も記録だけが独り歩きしていくのだろう(というか既にしている)。
この「騒動の記録」を現代美術はどのように受け取っていくべきなのだろう?