武藤議員はゲイや性的マイノリティに泥を塗る「馬鹿者」である
出資法違反疑惑に続いて、武藤議員の未成年男子売春疑惑が『週刊文春』によって報じられ、大きな騒動となっている。
一方で「ゲイ差別だ」と反射的に応ずる声もある。しかし、武藤議員はゲイだから批判されているわけではない。
AppleのCEO、ティム・クックにせよ、マット・ボマーやリッキー・マーティンにせよ、ゲイだとカミングアウトした著名人はこれまで大勢いるし、彼らに対する世間の反応も一部を除いておおよそ好意的なものだった。
対して、武藤議員の叩かれようだが、ゲイだからではなく、出資法違反疑惑を含めて、やらかしてきた所業の上で叩かれているのである。「疑惑の人物」がゲイだったのが話題なのであって、ゲイだから批判されているわけではない。
これは男女を逆にしてみればわかる。「国会議員が未成年女性を売春し、議員宿舎に引っ張り込んで奴隷扱いして愉しんだ」-恐らく、実際にはこちらの方がよほど致命的である。嗜虐的な性的趣味と搾取としてどのような層からも支持されないものだ。
逆に、ゲイネタが先行して「助かっている」部分すらあるのではなかろうか。
クックをはじめとする著名人達は、自身の「偉業」によってゲイの社会的地位やイメージを改善にするのに貢献してきた。彼らに勇気づけられ、カミングアウトする人達は続いている。逆に、武藤議員はその所業によって「ゲイ」の立ち位置を著しく損ねている。彼に続く人などいやしないだろう。
今後は、性的マイノリティ保護のために活動すればよい、などと気楽に書いている人達もいるが、何をふざけたことを言っているのかと思う。「オタク」のレッテリングのように、「ゲイ」というレッテルがそのように扱われるのではないかという心配も良くわかる。けれども、だからといって弁解にはあたらない。彼こそ性的マイノリティに対して泥を塗りかぶせる者だ。