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現代美術とオタクの捻じれた立ち位置

 SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)が登場したとき、私はこの歌を即座に思い出した。

 RAYはiTunesレゲエチャート1位、オリコンインディーズ3位を飾ったこともある関西レゲエシーン注目の新星だ。「日の出ずる国」はかの三木道三さんらのプロデュースによる。この曲を初めて聴いた時、いま、こんなにも誠実で心響く歌が出るんだな、とまざまざ目の覚まされるような思いがしたのを覚えている。

 どんな共振が広がっているかは、Twitterの「#日の出ずる国」に一部を見ることができる。

 潮目が変わりつつある、と思ったのはこの曲が出た昨年初めごろのこと。この頃にSEALDsの前身であるSASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)は結成されている。安保法制などに対して、立ち位置や考え方は違ったりするのだろうけれど、いま、SEALDsの学生たちが握る拡声器は、やはりRAYのこのPVを想起させる。


 いま、現代美術の領域はポリティカルな感性を高めつつある。「戦争と美術」はここ10年の現代美術のキータームだが、その主導的な役割を務めてきた批評家の椹木野衣さんはいま、盛んにSEALDsをめぐる様々な応援ツィートをリツィートしている。会田誠さんはMOT(東京都現代美術館)で開催中の「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展に、「文部科学省にもの申すの檄文」と「首相に扮して世界平和の為に鎖国を説くビデオ作品」などを出している。

 そして、上記の会田さんの二作品に対して撤去圧力がかかっていることに、ミヅマギャラリーの三潴末雄さんが激怒している。

 会田さんのアイロニーやアンチテーゼっぷりは相変わらずで、3年前にも女性団体から抗議されて問題化したことがあるが、この時は展示撤去とはならなかった。よりによって「ここはだれの場所?」を問うこの展覧会で仮に作品撤去となれば、かなり深刻な、そして象徴的な問題となるだろう。

(そうこうしている間に会田さん自身のコメントが出た)


 さて、現代美術と「オタク」だけれど、これらは妙に捻じれた立ち位置関係にある。或いは、「オタク」は現代美術に対してずっと誤解をし続けてきたと言ってもいい。

 森川嘉一郎さんのキュレーションにより、ヴェネチアビエンナーレ建築展、日本館のテーマが「おたく:人格=空間=都市」となったのは2004年のこと。カステッロ公園にオタ部屋が現出し、「わたおに」こと『週刊わたしのおにいちゃん』の大嶋優木さんがポスターイラストを手掛け、海洋堂のフィギュアが並べられ、コミケ準備会も展示に参加した。

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 これはエポックメイキングな出来事で、当時急速に拡大しつつあり、『AKIRA』や『攻殻機動隊』の世界的評価によって自信を深めつつあったオタカルチャー側の人々は、いよいよオタカルチャーが「世界的アート」として認知されたのだとの「誤解」を進めていくことになった。以降、オタカルチャーは印象派にも影響を与えた「浮世絵=ジャポニズム」の正統な後継者と見なされたり、「クールジャパン」の掛け声のもと、日本を代表する世界的文化として行政的方策にも組み込まれていくことになる。

 このとき、「誤解」したオタカルチャー側にとって現代美術の代表者と見なされたのは、美術館も建てられた李禹煥や大規模なアートプロジェクトを進める柳幸典などではなく、オタカルチャーとの境界線上で踊っていた村上隆さんだった。

 この道化役を、漫画家の細野不二彦さんは『ギャラリーフェイク』で「パクリ、何も生み産みない簒奪者」として激しく指弾し、オタカルチャー側の人々からの喝采を呼んだ。オタカルチャー界隈の人々にとって、いまでも現代美術と言えば村上さんの『芸術起業論』のイメージだろう。

 しかしこれは、「おれが世界に紹介するぜ」「いや、お前はすっこんでろ」な、「誰が旗振りマネジメント役を務めるか」を争うという、ハタから見れば単なる内輪揉めでしかない。実際、村上さんはオタカルチャーのうち、やや下品な部分を体現していたことから批判されたところが大きく、要はもっとマシな紹介をしろという話に尽きる。敵対者というより何となれば「共犯者」だと言ってもいい。


 オタカルチャーが「ジャパン・アズ・クール」に踊り狂騒を繰り広げる一方、現代美術は全く異なる方向に舵を切っていた。キュレーションを務めた椹木野衣さんが「現代美術をリセットする」と公言した、「日本ゼロ年」展(1999年)以降、日本の現代美術における最も重要な先鋭はこの線上にある。

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 「日本ゼロ年」はゴダールの『新ドイツ零年』を想起させるタイトルだが、日本の戦後現代美術を、ありもしない、というかさしたる歴史もない「画壇」や「既存の権威」にわざわざたてついて意味なく空転するような「悪い場所」と見なし、その再構築を呼び掛けるものだった。これはアヴァンギャルドの批判性を現実社会において取り戻す試みであり、「戦争と美術」や「国策と美術」といったキータームがここで浮上してくる。


 オタカルチャー側では大塚英志さんが呼応する形になっている。彼は、「すでに戦時下に入った」との認識のもと、国策化していくオタカルチャーの胡散臭さについて警告する立場を取っており、上述の村上隆さんに対しても、この立場からの批判を投げかけている。

 だが概観してみれば、総じて「オタク」側からの反応は乏しい。児ポ法をめぐって盛り上がったりもするのだが、捻じれた立ち位置にあるオタカルチャーにとって、現代美術といえば村上さんをはじめとする「共犯者たち」の姿しか見えていない。

 実際、オタカルチャーが「クールジャパン」として我が世の春を謳う一方で、現代美術は辺鄙な島々をめぐる瀬戸内国際美術展にのべ100万人を動員するなどの成功を見せているのだが、秋葉原と直島では、これが同じ日本なのかと目を疑うほど互いに異質な光景が繰り広げられている。美術作家と商業作家では根本的に性質が異なるとはいえ、互いに照応するところが-批判や反批判でさえ、殆どない。

 この乖離の仕方がこの10年、私にとっては不思議で仕方がなかった。興業イベント化する状況に批判はあるとはいえ、現代美術は「戦争と美術」のキータームにおいて、国策に取り込まれていく美術芸術の危険性やその枠組みの問い直しを行ってきた。一方でオタカルチャー側は現代美術の「共犯者たち」をタテにして世界に冠たる「ジャパニメーション」の夢を見続けている。

 潮目は変わりつつある。いずれ状況は変わるのだろうか。