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ヲタ論争論ブログ

ヲタ、ネット界隈をめぐる論争的ブログです

宮崎駿さんの会見とSEALDsとネット左翼

 安保法制をめぐる攻防が大詰めを迎える中、宮崎駿監督の会見談話が話題を呼んでいる。いや、話題を呼んでいるというよりも所謂「右側」や法制支持派から盛んに叩かれている。やれ「老害」だの「ボケた」だの、まあひどい有様なわけだけれど。

 軍事力で中国の膨張を止めることは不可能だと思います。もっと違う方法を考えるために、そのために私たちは平和憲法を作ったのだと思います。

 これに対して、「武器よさらばのお花畑」「GHQが押しつけた憲法に過ぎない」などというのが、主だった「批判」の声のようだ。しかしながら、会見の全文を読んでみると宮崎さんは批判者から思われていることとはやや違うことを述べているように見える。

 イラク戦争が起こった時、日本のテレビジョンで、あるイギリスの政治学者がインタビューに答えていました。

 その内容をかいつまんでお話しますと、"この戦争の結果、アメリカはアフガニスタンイラクから自分の牧場に帰ることになるでしょう。そして、世界は一段と混乱するでしょう"と言いました。

 今、安倍政権のやっていることは、そのことを考えてどういう方法を取るかだと思います。私は正反対の方が良いと思いますが、つまり軍事力で中国の膨張を止めようとするのは不可能だと思います。もっと違う方法を考えなければいけない、そのために私たちは平和憲法を作ったんだと思います。その考えは今も変わっていません。

(中略)

 平和憲法というのは、占領軍が押し付けたというよりも、1928年国際連盟のきっかけにもなった不戦条約の精神を引き継いでいるもので、決して歴史的に孤立しているものでも、占領軍に押し付けられただけのものでもないと思うんです。

 宮崎さんの言う「私たち」は要するに宮崎さん個人や日本人ではなく、「人類」とか「我々人間は」に相当するだろうか。アフガニスタンイラクの例では、軍事的介入は混乱を招いた。「成功」と見るのはアメリカ自身でも難しい。中国の膨張に対して、別の手段、別の(国際連盟の理念ともなったような)国際的な調停方法を(我々人類は)採るべきではないか、というのが宮崎さんの問いである。

 重ねて注意をしておくけれど、ここで宮崎さんが述べていることは、「軍備を放棄せよ」といったことではない。覇権国家に対して、イラクに対するような軍事介入はすべきではない。別の手段を採るべきだということに尽きる。擁護し過ぎなのかもしれないけれど、毎度のこと批判する者は「ボケ老人」だの叫ぶ前にまず全体を見るべきではなかろうか。抽象的に見えるフレーズの抜き出しに釣り上げられていても仕方がない。


 もう一つ、安保法制をめぐって最近話題になっていると言えば「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)だ。毎週金曜日にデモを繰り広げているが、その「垢抜けた」ファッションや「お洒落な」フライヤーや宣伝動画が話題になっている。

 こちらも盛んに叩かれている。いや、一部では「リア充」っぽさが羨ましがられたりしているようではあるけれど。

 共産党(民主青年同盟)の影響力が強いと批判者からあれこれ報告されているが、となると、これは要するに戦前の京都学連事件あたりから続く正統というか、まあ正真正銘な学生運動だということになるだろうか。但し、自治会が母体ではないようなので、職場を単位としない個人加盟制ユニオンの学生版のようだ。

 その上で、もともと政権側のブレーンだった学者や、民主から維新までの各党の議員が挨拶に立つなど、反政権的な広い大衆運動としての側面を間違いなく持っている。LINEやTwitterの使いこなしや巧みな宣伝動画など、ネットを使いこなすという意味では「ネット右翼」に対するこれぞ「ネット左翼」、ないしは彼らの自称に従えば「ネットリベラル」ということにもなるだろうか。

 最も注目すべきは彼らの「品の良さ」だろうと思う。勿論、現実政治である以上、裏側で何が囁かれているかはわからない。それでも、「お洒落さ」以上に、彼らのその品の良さが目を引く。

 口汚い罵倒や差別用語をモロに含むようなレイシズム、クズは死ねをそのまま叫ぶような自己責任論や嘲笑ばかりが渦巻いてきた最近のネット界隈の政治世界において、彼らの実直な口ぶりは非常な清冽さを感じさせる。それだけで期待を集めるのもよくわかる。英語のプラカードばかりというのがある種の功を奏しているのかもしれないが、「#本当に止める」というような飾りない口語のタグをはじめ、サイトも誠実に要求を並べるつくりになっており、罵倒的な姿勢や嘲笑は見えない。

 民主主義とは多数決による決着のことではなくて、また当然にいきなり相手を斬り倒すことではなく、互いに「敬意」をもって対し、論ずるということだろうと思う。その意味では彼らはとても誠実に見える。嘲笑によって政治を語る向きに、右にせよ左にせよ信頼に足る連中などいない。

 彼らがほんとうに、彼らが述べているように「新しい政治文化を創る」かどうかは今後次第だ。いまのところフライヤーにせよ動画にせよ写真の加工法にせよ、真似ごとの域を出ていない。ほんとうに新しい政治文化は、未来派やロシア・アヴァンギャルドやプロレタリア・アートのような新しい衝迫性ある文化を伴うものだろうという気がするのだけれど、まだそれは見えない。しかし、それらは薄汚い嘲笑や罵倒にまみれたこれまでのネット政治がまるで生み出さなかったものだ。SEALDsとて「#自民党、感じ悪いよね」のようないじめっ子のイヤミのようなものにばかり阿ってばかりいれば、いつでも落ちていく。


 安保法制をめぐって喧々と政治議論が飛び交うネット空間だけれど、敬意と文化ある空間へと前進することはあるんだろうか。