ボーカロイド衰退論とネット発のクリエイションの行方について
著名な歌い手、鋼兵さんのこの動画から、再び「ボーカロイド衰退論」に火がついている。
対して、それは歌い手をはじめとする「外野」の勝手な都合に過ぎないという論考が出されているけれど、これはもう、ほとんど衰退を認めるに等しい議論になっているのではなかろうか。
心情的には楽曲こそが中心だと言いたくなる気持ちはよくわかる。
だが、あえて端的な言い方をするけれど、ボーカロイド・ムーブメントの特質は、楽曲制作にだけ、ボーカルが使えて曲が作れるというところにだけあるのではない。少なくとも初音ミクを産んだクリプトン社が目したものはそういったものではなかった。
クリプトン社は、ボーカロイドが単なる仮歌ソフトとしてではなく、キャラクター性を伴うある種のヴァーチャルアイドルとして、もしくは何らかの共同的な象徴や幻想として支持されたことを実によく見抜いていた。
初音ミクの突然のヒットに応じて、クリプトン社はキャラクタを含めた使用ガイドラインをまとめあげ、ピアプロなどを設置して環境の整備を図った。紆余曲折はあったものの、こうした尽力にもよって楽曲をはじめとしたイラスト、動画、3D、歌ってみた、踊ってみたその他諸々-後に「CGM(消費者生成メディア)におけるUGC(ユーザー生成コンテンツ)」とかいう横文字で総称されるようになるけれど-これらボカロをめぐる制作物は単なる二次創作ではなく、一個の「クリエイション」としての地位を持つことができるようになった。
よって続々と商業的にもデビューを果たす創作者が出たわけだけれど、その本質は、ボカロに関わる限り、楽曲制作者であれ絵師であれ動画師であれ歌い手であれ技術部員であれ何であれ、一個の「クリエイター」になりえるというところにこそある。その意味では、楽曲制作はそのうちの一分野に過ぎない。
それは『Tell Your World』に語られた通り。こうした特質を欠いてボカロを語ってはならない。またそれはボカロ・ムーブメントの価値を損なう。3DダンスソフトやVRの象徴的キャラクタに初音ミクが用いられることまでを含めてボーカロイド・ムーブメントである。ネット界隈において、紛れもなくボーカロイドはFLASHに継ぐ大規模な、多様な才を巻き込んだ「クリエイティブ」なムーブメントだった。
こうしたボカロ界隈の未来を、尻Pこと野尻抱介さんは軌道エレベーターや星間文明とのコンタクトにまでぶっとばして描いたが(『南極点のピアピア動画』)、果たして3年後の現在、それが楽曲制作のみに集約されてしまうとするなら、それはやはり衰退と言ってさしつかえないのではないかと思う。
或いは、ソフトとしてのボーカロイド分野は成熟し、また今後も継続し発展していくのに対して、ヴァーチャルアイドルとしての、何らかの共同幻想としてのボーカロイドは衰退した、と区分して考えることもできる。しかし、それでも、やはりそれはネット界隈における「クリエイション」が大きく後退したことを意味する。
ネット発のクリエイションは、これまで「自滅」を繰り広げてきた。BMSは著作権の壁の前に潰え、『電車男』では反駁する人々の総叩きがヒッキー板に押し寄せた。FLASHは商業化目前にしてのまねこ騒動に呑まれていった。対して、ボーカロイドはクリプトン社の尽力もあって、ネットの歴史上、ほぼはじめて道を大きく整えることに成功した事例だと言える。
このまま「衰退」していくのだろうか?もしくはまた「復活」していくのか?ボーカロイドという枠を超えて、ネット発のクリエイションは今後どこへいくのか、それが気にかかる。「ボーカロイド衰退論」なるものが示しているのはそういう問題提起ではなかろうか。