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沖縄独立論と沖縄アニメ

 このところ、沖縄ないし「沖縄独立論」をめぐる議論をとんと身の周りでは聞かなくなった。先月あたり、あれほど喧しかったのにどうしたのだろう?沖縄をめぐっては知事の訪米や県民集会や石垣市長の発言やNHKスペシャル(『沖縄戦 全記録』)があったわけだけれど、俄かには話題になったけれど、どうも「本土」のこちらでは雰囲気が見えてこない。(きっと沖縄側では違う)

 本来なら、いまの時期にこそ沖縄をめぐる議論は最も盛り上がるものなんじゃないのだろうか?6月は夥しい住民犠牲を出した沖縄戦最末期の季節であり、23日は司令官自決による沖縄戦の組織的戦闘終了の日であって摩文仁の丘で慰霊と平和祈念の式典が開かれる。学校や官公庁は公休日となり、正午には黙祷がなされるという。この重要な季節に、何故、沖縄をめぐる議論が目につかなくなってきているのだろう?それとも23日には再び火がつくのだろうか?

 ちなみに、改めて整理しておくに、いま沖縄が求めているのは基地撤回を実現することのできる「自治権の拡大」であって「独立」ではないように見える。仮に事態が極端に進行するとしても、現出するのは「沖縄自治区」や「琉球州」であって「沖縄共和国」や「琉球首国」などではない。自治区と言うと、すわ中国の回し者と反応されてしまう気もするけれど、世界を見てみれば自治区なり民族連合国家なり連邦なりいくらでも多民族を含む国家の在り方はあり得る。

 にも関わらず一足飛びに「独立」ばかりを問題とし、やれ中国の策動だの反日だの叫んだり、もしくは独立後の経済だの行政だのばかりを論じたがる人達は、まるで国家は単一の民族、単一のフレームでなければならないと無前提に思い込んでいるようだ。それがますます沖縄の人達にとって無意識的な強圧になっていなければいいけれど。


 と、何故一介のアニオタに過ぎない筆者がわざわざこんなことを考えているかというと、沖縄アニメってそういえばどうなってるんだろう、ってなことをふと考えてみたからだ。

 たとえば沖縄「音楽」にはよく知られているように固有の特質と世界がある。伝統的な琉球民謡に始まって、喜納昌吉りんけんバンドなどがメジャー化に道を大きく拓いたオキナワンポップスほか、沖縄テイストを取り入れたアーティスト達による数々のヒット曲によって「沖縄音楽」という確固たる世界があることを私たちは知っている。

 それは民謡であったり基地仕込みのジャズやフォークやロックがルーツになっていたり、はたまた別の道から始まるものだろうけれど、他に替えがたく沖縄の歴史と文化に根づいた音楽としてそこにある。

 あるいは、沖縄「美術」にもそれはあって、琉球漆器や紅型などの伝統工芸のほか、実は戦後になって基地の出す廃材から始まった琉球ガラスなどが有名だけれど、「ニシムイ」に始まる沖縄風土とも密接に絡む戦後現代絵画の流れもある。


 翻って沖縄「アニメ」はどんなものだろう?

 2012-2013年にかけて沖縄ローカルで放映され、その後全国でも放送された5分アニメ、『はいたい七葉』が一番最近かつ代表の例になるだろうか。

 その前年(2011)には県観光農商工連携強化モデル委託業務の一環として行政産のアニメがつくられた。但し、残念ながらこちらのプロジェクトは凍結されてしまった模様。

 これらの「沖縄アニメ」を観て思うのは、現代アニメはひょっとして固有の地方性や民族性やを孕むことを苦手とする側面があるんじゃないかということだった。

 まるっこい目鼻立ちの目立つMirikaのほうはまだなんとなくそのように見えなくもない気もするけれど、正直、七葉の方は「本土」のアニメとまるで変わらないわけで、単に舞台が沖縄になっているだけだ。たとえば『BLOOD+』が沖縄のゴザ市を舞台にしているのと同じで、「沖縄アニメ」ではなくいわゆる「ジャパニメーション」なんである。

 それが良いとか悪いという話ではなく、どうも「ジャパニメーション」は地域性とは相性が悪い。このことは西又葵さんがあきたこまち米のパッケージを手掛けたあたりから顕著になっていた話で、正直西又さんのイラストはあきた美人だのの特性を全く孕んではいない。

 東欧系だろうとラテン系だろうと東洋系であろうと基本一緒な『ヘタリア』あたりをあっさり受けて入れている私たちは、髪の色や言葉遣いやという設定一つで国籍すら区別をつけてしまうという文脈に慣れ過ぎている。「ハンコ絵」という言い方もあるけれど、極端に言ってしまうなら「ジャパニメーション」なり「現代オタカルチャー」のキャラクターは日本人でも外国人でもない、出自不明で無国籍な人達なんである。

 このことは、現在なお盛んに進められているアニメで村おこしなどの行く末を不安にさせる。地域性に優れた傑作といえば『じゃりんこチエ』や(別に意味で特性を持っている)『はだしのゲン』などがあるわけだけれど、今後このような作品は生まれてくるのだろうか?

 沖縄音楽や沖縄美術のような、特性ある沖縄アニメが観てみたい。或いは探してみたい(自主制作などもあるはず)。そして、そのとき、出自不明な文脈に慣れきった私たち現在のオタはこれを見てとる眼を持てるだろうか?或いは、そういう眼を持っていたいと私は思う。