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ライトノベルが馬鹿にされる状況論

 この頃俄かに、ライトノベルをめぐる議論が賑やかになってきた。何故、ライトノベルは馬鹿にされるのか?

 或いは、「何故いま、それが考察されなければならないのだろう?」

 あれこれと解釈や考察やがなされているけれど、実のところ答えは簡潔かつ明瞭で、「今期(2015年冬)のラノベ原作アニメが不作揃いだったから」に尽きるのではないかと思う。

 実際に不作かどうかは個々人の感想に委ねられると思うのだけれど、テイストの似た四つのラノベ原作アニメが「クソアニメ四天王」「四大クソアニメ」などと並び称され、あちこちのブログやまとめサイトで面白おかしく取り上げられている。

 このあたりから最近のラノベ議論は起こっている、もしくは再び火がついているように見える。

 要するに「ラノベ叩き」はアニメにおける各ジャンルの力学の問題なんである。実際、この話題はアニメのクールが入れ替わるたびに形を変えて現れる。「良作」が揃えば話題は後退し、「不作」が揃えば叩きが前に出てラノベは馬鹿にされる。

 「ライトノベル」は時として「エロゲ」に入れ替えられたり、最近なら「ソシャゲ」に置き換えられたりもする。「萌えアニメ」といった大雑把な言い方に換言されるときもある。

 端的に言えばこれはアニメのあり方に対する語りなのであって、ライトノベル自体については何も語っていないに等しい。


 一方で奇妙な、もしくは当たり前のことかもしれないけれど、文芸分野においてはライトノベルは冷静に見るならば「かなり一目置かれている」。書評ブログが躍起になってライトノベルを貶しているのを見ることなんて滅多にない。

 このところ頭打ちや「アタリショック」が懸念されるものの、長く書評、文芸系ブログで支配的なのは出版不況下でも揺るがないラノベ市場の強力さに対する感嘆だ。また、それは今も新レーベルラッシュや、一般文芸のマンガイラスト表紙化に対する注目として続いている。

 ちなみに、ここでもこれらは文芸分野全体に対する語りであって、ライトノベル自体については何も語っていないに等しい。


 結局のところある分野における伸長によって良し悪しだの馬鹿だの感嘆だの言われているという話で、その時点において「アニメにおいてはラノベは馬鹿」であるか「文芸においてはラノベは驚異」であるかという話。

 状況が変われば言い方は変わるわけで、またさらに別の分野では別の言い方があるかもしれない。例えばゲームにおいては(ラノベ原作のキャラゲームは)別の言い方が用意されるのだろう。


 ぶっちゃけ、涼宮ハルヒレベルの大ヒットアニメが出れば、一挙に状況はひっくり返る。さしたる心配はない。いずれは「エロゲ」あたりの位置に落ち着くのかもしれないが、それまでにはまだまだ時間がかかる。